インドにヘナやインディゴの勉強に行った兼子です
あれから早 2ヶ月
インドで見聞きした衝撃な事実の続きを書いていきたいと思います が
今回は
インドと日本の文化の違い と言うか
考え方の違いのような出来事の事を書きたいと思います(インドのすべてがそうでしたが・・・その中でもと言うやつです。)
インドの生活も一週間以上が経ち
徐々になじんて来た頃
デリーで一日仕事も何もないフリーな日がありました
今までは インドのヘナ工場「ケオ社」の社長のサニーさんと 兼子のヘナの師匠の「小林さん」が
兼子の横には常にいて
どこに行っても 何をしても 何も怖いこともなく すべてこの二人がやってくれる
ある意味 「お大臣」のようなインドの旅をしていたのですが
この日は二人とも「ホテルで一日を過ごすから兼子はどこか行くなら一人で行動してね!」
と言われていたので
兼子はデリーで運転士を頼んでいる「ラビ」さんに
「明日個人的にタージマハルに行きたいから僕だけ車で連れて行って!」と頼むと
「いいよ!朝6時ホテルの前集合ね!」と言う感じでその日は解散
翌日
6時にホテル前に行くと
「ラビさん」登場
そこでラビさんは
「俺 タージマハルのあるアーグラはいったことないから 代わりにそっちに詳しい運転士に代わるね!」と言われ
その方と二人か・・・ 知らない人だと気まずいな と思っていると
な なんと!! 車に ラビさん家族が乗っているではありませんか!
奥様とは「初めまして」で
下の子のラグーちゃんとは何度か会っていて お菓子あげて仲良くなっているので「お菓子のおじちゃんだ!」的な感じですでに仲良し
お兄ちゃんのロニーちゃんとは初めて
皆 「タージマハル初めて行くからチョー楽しみ!」的なノリで
なぜか いきなり家族旅行に!(要は 兼子の金で旅行ができる!と言うことですよね・・・。)
ラビさん家族4人 と
運転士の彼(名前メモルの忘れて 忘れてしまいました ごめんなさい)
そして
兼子の 計6人でタージマハルまで行きました
運転士の彼はタージマハル見学はしませんでした(運転手に徹してました)
デリーからタージマハルは
車で3~4時間
運転士の彼曰く
「高速がアーグラまで開通したから楽になった」と言うことでした
高速道路は
日本の高速のように 料金所があり 道もきれいで 畑とも荒野とも言えない平原をまっすぐの道が伸びています
しかし
4人乗りのバイクが走り
時速100キロで走る車の窓につかまり100キロで引いてもらう自転車あり
逆走してくるダンプあり
道で寸断された畑の農夫が高速道路を横切り(金網に穴が開いていて人が入れるようになっている)
あげくの果ては 料金所手前で4人乗りのバイクが止まったかと思うと
おもむろに 横のフェンスを4人でバイクを持ち上げ 乗り越えて 料金所を通らない始末
高速道路は
広くてきれいでしょ?
タージマハルは インドの方も一度は行きたい場所の一つらしく
ラビさん一家はとても楽しそうでした
僕もカメラマンになり ラビ家の幸せ時間をカメラにおさめました
僕も仲良しを「パシャリ」
ラグーとはテレパシーで会話ができるレベルに達していました
お年頃ロニーはあまり「はしゃぎ」ません
でも優しいお兄ちゃん
タージマハルはお城ではなく 「墓」です
寺院など
インドでは靴は脱がなくてはいけないところが多く
外人の兼子は 入館料を地元の人たちの10倍くらいとられる代わりに
靴にするカバーを貸してもらえるので
はだしにならずに済みます。
ラビさんは裸足でしたが インドの太陽に焼かれたタージマハルの石の床はとても熱そうでした(外の日に当たるところです)
タージマハルを見終わると
お昼過ぎ
運転士さんの知り合いのレストランへ!!
高級レストランらしく
子供たちも やや緊張気味
ラビさん家族はベジタリアン
兼子はノンべジ ラビさんの奥様にはノンベジの兼子は少し印象悪くなったようでした
しかし
帰りの車では
皆で歌うたいながらノリノリで
これなら運転士さんも居眠りする暇もない!
後ろの座席で 年頃の兄ちゃんは熟睡中! お年頃の男子は どこの国も同じなのですね
兼子家の車での旅行も 家族みんなで ノリノリで歌うたいながらなので
家族が恋しくなり
少しホームシック・・・。
こうして
兼子一人のインドは無事終了するのでした
この日は 一言も日本語を話しませんでしたが
なんとなく 通じ合えたのが不思議
ほんとは 兼子 英語できるのでしょうか・・・・?
それとも
全く違うこと言われていたのに 勘違いで わかったつもりなだけだったのでしょうか?
謎です
今回は
一言も 「ヘナ」「インディゴ」が出てきませんでしたが こういう日もあるということで
次回はインド総集編です